幼少期
私は1965年、北海道の道東にある小さな町の農家に次女として生まれました。
5歳の時に今も住んでいる札幌に引っ越してきましたが、小さい頃の暮らしは、あまり楽しい幸せなものではありませんでした。
その理由は父の酒乱です。
父は酔うと人が変わり母にいつも暴力を振るいました。
夜中に父の怒鳴り声と母が泣く声で、目覚めた事が何度もあります。
寒い真冬の夜にパジャマ姿で雪の中を裸足のまま逃げる母を見た時は、まだ小学校の低学年だった私は、「早く大人になりたい!強くなって母を守りたい!」と心から思いました。
両親の離婚
その後、私が高校生の時に両親が別居することになり、母と姉と3人で住み慣れた家を後にしました。
母と姉が働き私は高校に通っていましたが、家計が苦しいので部活を辞めて、アルバイトをしていました。
その後、私は高校を卒業してすぐに就職しました。
その頃は姉は結婚していたので、私はやっと父と離婚が成立した母と二人暮らしをしていました。
もちろん私の給料の中から家にお金を入れて生活費に充てていました。
同じ歳の人が、給料全部を、お小遣いのように使えているのが、とても羨ましかったです。
結婚と離婚
その後私も一つ年上の人と結婚をしました。
辛い不妊症の治療の末にやっと娘を授かりました。
しかし親子3人での生活は2年くらいで終わりました。
その理由は夫の借金でした。
結婚前から私に内緒にしていた借金があり、その上仕事も長続きせずにいたので、給料だと言って渡されていたお金は、実はサラ金から借りていたお金でした。
借金を返すお金がないので、また他から借りるということをしていたようで、家には毎日のように取り立ての電話がきました。
借金取りが家のまで乗り込んできたこともあります。
私はこのままでは娘をまともに育てる事ができないと思い離婚を決意しました。
私は娘を守るため必死でした。
でも母も近くに住んでいたので、裕福では無くても幸せな日々を送っていました。
倒れた母
しかし、その日常も長くは続きませんでした。
母が職場で倒れたのです。
母は父からのDVのストレスで心臓病を患っていました。
そのせいで心臓の中で血栓ができ、急に立ち上がった時に血栓が脳に飛び、脳の血管が詰まり脳梗塞を引き起こしてしまったのです。
そのまま母は入院することになりました。
私は毎日、仕事が終わると保育園に娘を迎えにいき、そのまま母の入院している病院に行って、食事の介助などをして、洗濯物を持って帰り、家に着くと、とりあえず娘にだけは食事をさせて、後片付けをして娘と一緒にお風呂に入って疲れ切って寝る、そしてまた朝になって、娘にご飯を食べさせて保育園に送り、仕事に行って昼休み一旦家に帰って、母の物と自分達の洗濯をして、食パン一枚食べながら掃除をして、洗濯物を干し終えて仕事に戻る、終わるとまた保育園に娘を迎えに行って・・・という生活が続きました。
流石に体重は40キロをきってしまい、風邪をこじらせ肺炎になりかけたこともありました。
でも私は母子家庭だったので、母を自宅に連れて帰って自宅で介護してあげる事はできない為、こんな生活をするしかありませんでした。
その後、母は姉と一緒に住むことになったのですが、その頃を思い出すと自分の経済力のなさが本当に悔やまれます。
再婚 悪夢のような日々
母が姉の所に行ってしまった後、私は幼なじみと再婚することになりました。
今思えばきっと私は何もかもに疲れ切っていたのだと思います。
ただただ娘と一緒に家にいたかった、それだけでした。
再婚してすぐはうまくいっていたように思えましたが、じわじわと少しずつ狂い始めました。
再婚相手は義父が亡くなると本性を現しました。
DV夫だったのです。
私ばかりでは無く、娘にも暴言や精神的虐待、暴力が始まりました。
しかし再婚相手は外ではとてもいい人で通ってました。
家には義母と義弟も同居していたので、私と娘には逃げる場所はありませんでした。
その頃家には捨て犬だったゴールデンがいたのですが、その子にも再婚相手と酒乱の義弟は暴力を振るってました。
私は何度も離婚を言い出そうと思いましたが、娘と犬に何かされるのが怖くて言い出せませんでした。
そんな悪夢のような日々に最悪な結末が訪れたのです。
再婚相手が自分のお腹に包丁を刺して死んだのです。
その朝、娘は体調が悪いから学校を休むと言い出しました。
娘は中学に入ってから不登校気味で、私も無理に行かせようとしていなかったので、その事も再婚相手のDVの理由になっていました。
その朝も再婚相手は激怒し、娘の襟首を掴み訳のわからないことを怒鳴り散らし、娘の頭が取れるんじゃないかと思うほど激しく揺さぶり続けました。
私は間に入り娘から再婚相手を引き離し、「もういい加減にして!そんなに私たちが憎らしいのなら、殺せばいい!」と叫びました。
その時の私も娘も本当にもう生きていたくなかったのです。
死ねなかった理由は、たった一つ、犬の為です。
犬を残して死ねなかったからです。
だから私はこう付け加えました。
「私も〇〇〇(娘)も〇〇(犬)も殺してよ!」と・・・。
再婚相手は「おーーー殺してやる!うおー」と奇声を発して包丁を持って、娘に近寄ってきたので、私は娘の前に立ちました。
すると再婚相手はいきなり「死んでやるーー!」と叫び自分のお腹に包丁を刺しました。
私は「何てことをしてくれたの!」と思い、実際に声にも出ていたと思います。
すぐに救急車を呼びました。
私と娘は救急車と一緒に来た私服の警察官に警察署まで連れて行かれ、別々に事情聴取をされました。
再婚相手が死んだ事は警察署で刑事から聞かされました。
警察署から戻ると、義母と義弟に「人殺し」と言われました。
その後の記憶はぼんやりとしていてはっきり思い出すことができませんが、私と娘と犬は、夜逃げ同然でその家から逃げ出しました。
娘は目の前で自殺されたことでPTSDになり長い間家に引きこもり、心療内科にも通いました。
私は本当に再婚したことを、心の底から後悔しました。
今も娘に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
その後、私もペットロスや職場でのパワハラモラハラで鬱になり、仕事を辞めてしまい、しばらく家にいたので元々少なかった蓄えは、すぐに底をつきました。
今は生活する為に保育園の給食調理員をやっていますが、正直言ってもう外には出たくありません。
私は娘と犬に幸せになってほしいんです。
守りたいんです。
そして、私と同じように苦しんできた人にほんの少しでもいいから、言葉の力でその痛みを和らげてあげられたらと思っています。
そのために、本物の成功者のメンターからマインドセットを学び続けています。
不思議な力を信じて、進みます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。